今回は自然農講座で学んだ『自給農法』シリーズの3回目です。
まだ読んでいない方は過去記事からどうぞ。
自給農法では、自然界の『森を作る力』に沿って、
生物みんなの『エサバ』ができるように手助けしていきます。
自給農法の『エサバ』づくりとは…
ヒトも、動物や植物といっしょに自然界と言う名の同じ土俵に立ち、本能(五感・感性)をはたらかせ、共同して生き物みんなのエサバを作る
わたしの言葉でまとめてみるとこんな感じ。
たぶん明治維新から現在まで、『農業』を左脳(理論脳)ばかり使ってやってきたのが『慣行農法』。
そして右脳(感覚脳)も使ってバランスをとれたものにしていく試みがこの自給農法だと感じています。
とはいえ、「感性を使う」とだけ聞いてもなんだかぼんやりしてますよね。
実際にはどう使うの?
それが今回のお話しです。
まず『人間』も動物だと思い出してみる
ヒト(人) とは、広義にはヒト亜族(Hominina)に属する動物の総称であり[1]、狭義には現生の(現在生きている)人類(学名 Homo sapiens)を指す[2]。
ケモノにくらべて毛はあんまり生えてないけど(個人差アリ)、やっぱり人間も動物です。
そりゃそうだ。
そして地球という同じフィールドで生きる植物も、もちろん同じ「生き物」。
何が言いたいかと言うと、
動物が使う『本能』は人間で言えば『感性や直観』。
人間が心地いいと本能的に感じる環境は、動物や植物も同じように心地いい場合が多い。
ということ。
講師のジャンさんは、
「感性でエサバ(畑)をつくるというのは、快適な住まいになるようにつくることです」
「ずっとカンカン照りの下にいたら、人間もつらいですよね?植物も同じです。だから本当は植物も半日陰が好きなことが多いんです」
と言っていました。
もうちょっと妄想レベルを上げて、メルヘンチックに言えば、
「植物や動物の気持ちと自分の気持ちを重ねる」という感じでしょうか。
これがあんがい、できそうで難しい。
例えば…
動物を飼おうと思って専門書やネットで調べた。
そして書いてある通りに飼ってみたのに、だんだん元気がなくなって弱っていく…
本に書いてないので、その理由が分からない…
みたいなことってよくありますよね。
私はよくあります。
家庭菜園もマニュアル(本とかネット)読んで実践するけどうまくいかず…
現代人はなんでもマニュアルや専門家頼みで、「自分の感性は頼りにならない」と思い込んでしまった。
もちろん動物や植物の『出身地』や『個性』などの知識も重要ですが、
知識に『+感性』で向き合うことがとても大切だと知りました。
相手(ここでは植物)のことを考える基準は、結局は自分(の感性)が心地いいと思えるかどうか。
こう考えていくと、自給農法を実践することは、自分の感性を取り戻す作業にもなっちゃいますね。
もはや禅とか瞑想に近いかも。
自然界での「動物」の役割
上の題字を見て、
「動物…あ~なんか毛が生えた動くやつね」
ぐらいに思ったあなた!
動物って、あなたやわたしのことでもありますよ!
アタマでは分かっていても、ついつい無意識に人間とほかの動物を分けて考えるクセがついているのが人間です。
ではあらためて「自然界での動物(ヒトも含む)の役割」とは?
1.食べる(間引く)
2.動く(動かす)
3.排泄する(タネをまく)
自給農法ではこの3つで考えます。
なんともシンプルですね。
①食べる(間引く)
ぱっと見、3つの中で一番わかりやすいのはこの『食べる』でしょう。
食べるために畑を作るのだから当然だと思います。
そう、人間さまの常識は『畑や農業は食べることだけが目的』です。
でもそれだけを目的にした農業をしていくと、
めぐりめぐって、最終的に『すごく労働しないと収穫できない畑』になり、人間が自分の首を絞める結果に…
と言うか、慣行農法ではすでにそうなっているように感じます。
一方の自給農法は『労働』しない、『努力』しない農法。
そして、ここがとても重要だと感じるので、力を入れて言います。
これは決して「自然や地球のためにエコな農業を!」みたいな正義話じゃないのです。
人間が自分のため(利己的)に『生き物みんなのエサバ』をいっしょに作ったほうがよい
という話なのです。
逆説的ですが、
ということですね。
「利己」=「利他」
これはものすごく理にかなっていると感動しました。
感情論でエコを語ると結局は罪悪感が残るだけ。
いつまでたっても人間は自然の一員になれないのです。
真理はシンプルに『自分のためにみんなと分け合う』。
これが本来の自然界すべての生き物の共通スタンス。
ここで講師のジャンさんのお話をどうぞ。
「シカなどの草食動物は、そこにある全ての草を食べつくすことはしません。歩きながらすこしずつ食べていく(=間引き)。それは、また同じ場所から草が生えて食べられるように(たぶん考えてはいないが)そうしているんですね。」
「人間でも、自分の山などで野草を採取する人は、取りつくすことはしないですよね?来年も同じ場所で採取したいから。それと同じです。」
「間引くといっても、自給農法では大きいものから間引きます。これが自然(ほかの動物)と同じやりかたで、小さいものを残したほうが、結局長期間いい野菜が採れます。」
そう、自給農法では『収穫=間引く』であり、しかも大きいものから間引くのです。
めちゃくちゃ理にかなっている…
常識崩壊。
②動かす(土木)
風が落ち葉を飛ばし、ときには草木を倒す
アリなどの虫が穴を掘る
イノシシが歩いた場所がケモノ道を作る
自然界が行う『動かす』作業はこんな感じですね。
そして自給農法が考える人間の『動かす』役割は、
具体的なイメージとしては…
「なんとなくここらへんは風通しが悪そうだからまずは掘って、上の方は草を刈っておこう」
「だいぶん育ってきたし、そろそろ土掛け(肥料と抑草効果)をしておこう」
こんな感じでしょうか。
このように感性と知性をいかして生態系の役割を肩代わりしてあげられるのは、ある意味人間だけですね。
そして人間が適切に『動かす』ことができれば、自然が「森に向かう力」を加速させることができるとのこと。
だから最適な『動かす』を心がければ、おのずと最小限の労力ですむはずなのです。
そしてここでわたし個人が思ったことは、
「森に向かう力を加速させる」だけでなく、「森に向かいすぎないよう、場合によってはある程度力を抑えること」も人間の役割
ということ。
人間が自然と共生している理想形として、『里山』があると思います。
そしてもし、人間がいなくなった『里山』は森にかえっていきますよね。
だから人間がいなくなったら、たぶん地球は森だけになってしまいます。
よくも悪くも。
でも里山のほうが生きやすい、もしくは里山でしか生きていけない動植物もたくさんいるわけで。
「人間の自然界での役割は、究極的には森ばっかりの地球でなく、『里山』を作ることで多様性のある地球を作り出すことだと言えそうだな…」
とか思いました。
自然農法に傾倒していくと、どうしても人間否定論とか人間不要論みたいな罪悪感に陥りやすいです。
けどそうじゃないよなと。。
人間が自然界の一員として調和して生きていける道は、ほんとうはとてもシンプルで、すぐにでもできることなのかもしれない…
とか、ガラにもなく壮大なこと考えちまいました。
③排泄(タネをまく)
最初に聞いたときは「なんで種まきが排泄?」
とか思いました。
どうやらこういうことです。
鳥や哺乳類などが木の実を食べる
⇒ 移動する
⇒ フンの中に種が混じって出る
⇒ そこに芽が出る
…じゃあわたしも今度から畑でクソしないといけないのか?
となりそうですが、もちろんそうではなく。
タネをまく=人間の排泄がわりですね。
そしてここでも常識破りの自給農法。
この『タネまき』も型破りでした。
・『スジまき』ではなく、集合させてまく(雑草はそうしている。コロニーと呼ぶ)
・タネをいつも持っていて、収穫するたびに同時にまく(自然界では実り(収穫時期)がまきどき)
一見ヘンテコな方法だけど、とても理にかなってますね。
おもしろい!
講師のジャンさん語録もあわせてどうぞ
「集合させてタネをまくと、大きく育たないのではと心配かもしれませんが、実はある程度まではまとめて育ったほうが、しっかりと育ちます」
「感覚的に狭そうだと感じたころに間引いてもいいし、分けて植え替えてもいいでしょう」
そして収穫のたびにタネをまく(時期がずれていく)ことで、育ち方がグラデーションします。
これが365日、毎日収穫できる『エサバ』になる秘密。
人間と言う名の動物の役割まとめ
最後に人間の役割3つをもう一度。
はじめよりもきっと意味が分かると思います。
1.食べる(間引く)
2.動く(動かす)
3.排泄する(タネをまく)
動物の中でも人間にしかできない役割、
それを感性と知性で実行すれば、生き物みんなが心地いいエサバができそうですね。
それでは今回はここまでです。
座学の内容は次回で完結。
ジャンさんが水はけの悪い畑の環境改善を、
ワークショップとzoom講座で解説します!
気になる方は以下のページでチェックしてください。
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内容を知っているのですが…
・自然農を試したけどうまくいかない
・自給農法の初心者
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